2000年春に2058gの未熟児で産まれた我が娘もピッカピッカの一年生になりましたy(^ー^)y 笑いあり涙あり、感動あり時には激怒ありの飼育日記です
 スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 水疱瘡のその後
2006年01月31日 (火) | 編集 |
今日は小児科に行って来ました。
怪獣はかなり元気です
私から見る限り治りはじめているような…
まぁお薬もないし先生に『火曜日ね』と言われてたので…

診察室に入って先生に見せると
『うん?治って来てるか?でもまだ4日だね。予防接種は?してないんだよね?』
『はい。してません。』
『他の子に移しても大変だから今週いっぱいは休みだな。お母さん週末にもう一回見せてね』
『はい』
で診察は終わりです。
お薬を出してもらって帰ってきました。

なんかかなり軽い水疱瘡です。
どうしましょってくらい軽い。
母に電話した私も最初の水疱瘡の時にほのと同じ様な症状だったみたい(^▽^;)親子で似たのかしら??
という事はほのはこの先にもう一回水疱瘡になる確率があるってこと??
それは嫌だなぁ~できれば一回で済ませてくれ~
そう願う母なのです
スポンサーサイト

 授かった命12(出産の午後)
2006年01月30日 (月) | 編集 |
これから『授かった命12』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m



次に気がついたにはもう病室のベッドの上だった。

あぁいつの間に運ばてれ来てたんだ。

『気がついたか?』
ベッドの脇に旦那が座っていました。
『あっほのか大丈夫だった?なんにもなかった?』
『うん。大丈夫だよ。』
『手は?足は?』
『そんなに心配しなくても大丈夫だったよ』

旦那は呆れた顔で話しまが…わたしにとってはとても大切な事です。

ちょうど看護婦さんが来ました


『目が覚めました?じゃ先生読んで来ますね』と先生を呼びに…
ほどなく先生がやってきました『おめでとうございます。赤ちゃんには会って来た?あとで会っておいでね。出産に関してはなんの問題もなかったです。赤ちゃんはやはり小さかったから小児科の○○先生にお願いして5階に未熟児専用の保育器に入ってます。あとで○○先生から説明があるとは思いますが、無事に出産よかったです。経過がよければお母さんは5日後に退院ですから。あとの説明は婦長に聞いて下さいね』
そう言っていかれました。

あぁこれで一安心かな?
あとで行ってこうよう5階に…
そんな事を旦那と話していると婦長さんがやってきました。

手には書類をいくつか持っています
『おめでとうございます。さっそくですが、赤ちゃんは未熟児だった為に特別な治療が必要になります。費用もバカにはならないでしょう。その費用の負担を少しでも軽くできるように公的な手続きをしなくてはいけません。これがその書類です。出産届けを先に役場に出してそれからこれを合庁の保健所に提出して下さい。他に必要な書類もいくつかあるのでそれも揃えて下さいね。そうすると公的な認定を受けて収入に合わせて赤ちゃんにかかる費用が変わりますからね。』そうひとつひとつ説明を受けました。
『そう言えば名前は決めてるの?それが先よね?』
『こういう状況だったので名前は決まってますから、今からでも出しに行けます』
『そうね。じゃ御主人よろしくお願いしますね』
そう言って書類を旦那に手渡して行かれました。

『こんなにあるんだ。でもちゃんとしないとな。昼からでも役場行って来るよ』
『うん。大変だけど頑張ってこなさないとね。ほのかも頑張ってるんでしょう?あと一緒に乳児医療手続きもしてきてね。それと児童手当もね』
『うんわかってるよ』
そう言っていったん家に戻って行きました。

隣のベッドの方が声をかけて下さいます
『おめでとうございます。なんか早かったですね。お昼かななんて話してたんですけど。すぐだったんですか?』
『そうですね。8時17分ですからほとんどすぐですね』
『安産ですね。よかった』
『ありがとうございます。夕べはうるさくてして今朝も大騒ぎで迷惑ばかりかけてごめんなさいね』
『お互い様ですから気にしないで下さい』
そんな会話をしていました。

お昼に母がようやくやってきました。
旦那が連絡をした時には会社でどうしても抜けられなくて今になってしまったと謝っていました。
『大丈夫?よかった無事に産まれたね。みんなが守ってくれたんだよ』
『本当にそうだね。守ってもらったよ。お父さんにもじぃちゃんにもね』
『赤ちゃんは会って来たの?』
『ううんまだ。先生は会って来てもいいよって言ってるからお母さんもいるし行ってみる?』

そう言って5階の未熟児病室へ

エレベーターを上がって小児科病棟のナースセンターに声をかけます。

『すいません。○○ですが赤ちゃんに会いに来ました。入っていいんでしょうか?』
『はい、どうぞこちらから』
ナースセンターを通って未熟児室へ
『うんお母さんはこちらから入ってくださいね。エプロンと帽子とあと手の消毒ね』そう言われたとように準備をして中へ
母は中には入れないらしいにでナースセンターと未熟児室の境のガラスの前にいました。

そこには大きな保育器は2つと小さいベッドが3つ

大きな保育器の中に小さい小さいほのがいました。
見た瞬間
涙が溢れます。思わず『ごめんね。ごめんなさいね。こんなに小さく産んでしまって…ごめんね』そう保育器にすがって泣いていました。
だってはじめてまともに見た我が子は小さい身体に大きなおむつひとつだけで身体には機械の線が沢山ついていました。足には点滴に管まで…そんな我が子の姿をみて取り乱さない親はどこにもいないでしょう。
近くにいた看護婦さんが『あらあら泣きムシなお母さんですね。大丈夫私達に任せて下さいね』そう笑って声をかけて下さいました。

すこし体調が悪くなった私は看護婦さんにお願いをして部屋に戻る事にしました。

がここで事件ぼっ発…

帰りのエレベーターで気分がすぐれずにエレベーターのドアに寄り掛かってしまいました。
そして3階のドアが開いたとたんに


バタン


なんと意識を失ってしまっていた私はそのまま倒れてしまいました。
点滴の台を握ったまま…
慌てたのはまわりです。
母や一緒にエレベーターに乗っていたからナースセンターがエレベーターの前なので倒れた音を聞いた看護婦さんもみんな大慌て

『○○さん○○さん』と看護婦さんに声をかけれられなんとか意識は戻りましたが、まだ朦朧としています。
そのまま車椅子で病室に戻りました。

看護婦さんからは大目玉です。
『なんてむちゃなことするんですか?怪我がないからいいようなものの…』
『すいません。先生が赤ちゃんに会いに行ってもいいっていうから…』
『それは連れて行ってもらいなさいってことですよ。今日はもう無理しちゃだめですよ。ずっと寝たきりでからだも歩く事になれていないし、出血もかなり多かったんですから、行く時は声をかけて下さい。』
『はい…すいません』

けっきょく夕方旦那が来る間ではまだベッドに横になっていました。

そして夕方再度赤ちゃんに会いにいきました

 授かった命11(運命の出産)
2006年01月29日 (日) | 編集 |
これから『授かった命11』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m



そのまま通り過ぎて分娩室へ入った。

とにかく分娩台に乗った。

看護婦さんは忙しく動き回る。
『ライン確保しますからね』そう言って腕に点滴をした。
足はまだそのまま…
『足は抜かないんですか?』
『先生の許可がないとね。』

そうなんだ。でも陣痛しんどいな
イタイ・・・~(>_<。)ゝ

そんな準備をしてお腹に計測器をつけたあとに看護婦さんから思いもしない一言が…
『これから朝の配膳で看護婦が足りないから行って来るね。何かあったらコールしてね』
そう言っていなくなっちゃいました。

えぇ~こんな状況でひとりにしないでーー
言える訳もなく私はそのままひとり分娩室に取り残されました。

この間15分位かな?

とにかく陣痛に耐えて耐えて時間が長く感じた。
早く戻って来てー
仰向けになってなってられない。
思わず横になって耐えていました。

何人か看護婦さんが出入りをしますがみんな忙しそうで私の苦痛に気付いてくれない。

ようやく看護婦さんが戻って来ました。
『ありゃー横向いたら計測器はずれてるね。仰向けに頑張ってね。先生にも連絡したから。もう少し我慢してね』
そういいながら準備に入ってます。

7時45分過ぎても先生は来ません。

看護婦さんが私に子宮口の様子をみて慌ててます。
『誰か○○先生に連絡して、早く来て下さいって』

ぇぇ先生まだなの??
っていうか小児科の○○先生も来てないよ。
陣痛で朦朧としている割りにはまわりを冷静に見てる自分がいました。

看護婦さんはひとり増えふたり増えと人数が増えていきますが肝心の先生は来ない。

『先生は?』
『今出たそうです』
『○○さん、先生もうすぐだから、ここから3分のところに住んでるから』
はぁそんな事はもうどうでもいいくらいに陣痛が…

ここへ来てようやく陣痛止めの点滴が抜かれました。

7時50分先生は到着
『○○さんの状態は?まだ大丈夫だろ?』
そう言いながら手を洗ってエプロンをしています。
『先生もうダメですよ。全開です』
そう看護婦さんが言うと先生が私の足下に座りました

『じゃ陣痛の波に合わせて息んで』と先生に言われて

『うーーーん』を陣痛に合わせて息んでみます。
でも実は私はこれのやり方を知らない。本では読んでいたけど実際に練習した事がないからどうしていいのかまるっきりわからない

『おい!!声をもらすな!!』

げっ?なに先生が怒ってるよ。どうして?だって
そんな私の戸惑いをひとりに看護婦さんが察して下さって頭のところに来て下さいました。
『○○さんわからないのね?じゃ手を握って私がやるように一緒にやって』そう言ってくれました

2度目の挑戦です
『はいこの波で息んでーー』
『うーーん』やっぱり声が出るよ
『声出すな!!赤ちゃんに酸素が行かなくなるから赤ちゃんが苦しんだ。もう少しだから声出すな!』

また怒られます。

3度目の挑戦です
隣の看護ふさんに合わせて身体を起こして声を出さないように息みます

次に瞬間

『もういいよ』と足下にいた別の看護婦さんが声をかけます

そして何かが私の中からつるんと出た感触が…

8時17分あぁ産まれた!!!

でも…でも…


『おぎゃーおぎゃー』


なんと泣いたんです。産声を上げたんです

諦めていたのに…


『産まれましたよ。女の子だよ』先生が声をかけてくれます
『小児科の○○先生は?』
『まだです』と看護婦さんが言うと
『じゃ体重計って沐浴先にして○○先生が来たらすぐに頼めるように』

先生は落ち着いてます。大丈夫なの小児科の○○先生がいなくても?

先生は私のあと処置に入りました。胎盤を子宮から出します。
その後、麻酔をして切ったところを縫合にはいりますが…この麻酔が痛い!!
思わず『イターイ』と腰が逃げます。
またまた先生に『危ないから動くな!』と怒られました。

赤ちゃんが沐浴を受けている時に小児科の○○先生が来ました。

『産まれましたね。じゃあちょっといいかな?』そういって産まれたての赤ちゃんを診察しています。

横からどうなっているんだろう?さっきはちらっとしか見れなかったし…
神様どうかお願いです。何ごともなく無事でありますように…そう祈っていました。

『おめでとうございます。やはり小さいし早い時期に出産なのでこのまま5階で預かりますね。あとで見に来て下さい』そう声をかけてくださいました。

やっぱり何かあるのかな?どうしよう…そう言えば旦那はどうした?今は8時半だけど看護婦さんはなにも言わないし…
そんな事を考えていると麻酔が効いて先生が縫合に入りました。

縫合が終わって看護婦さんと先生が赤ちゃんの点数をつけてます。

『5点ですか?はい。4点ですね。はい。これも4点ですか?』
『いやこれは3点だな。血色は悪かった』
などど言ってます。
あとで聞くと産まれた赤ちゃんはこの点数で状態を確認するんだそうです。

赤ちゃんが枕元に来ました。
『2058gの女の子ですよ。かわいいですね。さっき○○先生が話していたようにこのまま5階に行きますね。また後でね』
そういって連れていかれました。

あぁあれがさっきまで私にお腹にいた赤ちゃん?
顔はちゃんと揃ってた。目も鼻も口も問題なかった。でも指は?身体は?
不安はつきません。

9時を過ぎてようやく旦那が分娩室に入ってきました
『御苦労さん。8時15分にはここの前にいたのに看護婦さんが気付いてくれなかったよ』そう頭を掻いています
『赤ちゃん見た?』
『いやまだだ。これから行って来る。5階だろ?』
『うん。顔は確認出来たんだけどね。手とか足とか指とか見てないんだ。だから確認して来て。なにもないか大丈夫か…』
『わかった。ほら喉乾いてんだろ?』とお茶をおいて5階へと赤ちゃんに対面に行きました。

私は…よほど疲れていたのか?そのまま眠りについてしましました

 子供が病気の時は
2006年01月28日 (土) | 編集 |
みなさんどうしているのでしょうか?

うちはこういう時はほのは私から絶対に離れません。
きっと心細いのでしょう。母屋に何か取りに行くだけでも大騒ぎ、トイレにすらほのの許可がないと行けないんです。

だって姿が見えなくなると大泣きするから。・゜゜・(>_<)・゜゜・。ビエェーン...

夜もほとんど寝ないで付き添っているのが現状です。
寝付くまで隣にいてやって後は隣のお部屋で起きてます。

隣で添い寝しながらついているのが一番なのでしょうが…それだと私が寝てしまって意味がないんです(^▽^;)

なので隣の部屋で本を読んだりビデオを見たりしながら朝方まで起きています。

途中で何度か様子をみて大丈夫と思えば寝ますが…

ほのは丈夫なのか?弱い子なのか?見当のつかない子供です。

夕べもなんどか痒かったらしく泣きが入って起きましたが熱もなくて落ち着いています。

っていうか出来れば同じかかるならあまり軽くかからないで欲しいんですけど…
軽いとまたかかるらしいからきちんとここでやって欲しい。

親って不思議ですね。
子供が病気になると代わってやることなんか出来ないってわかっているのに、『この子と代わってやりたい。この子が病気になって苦しんでいるのは母親の私のせいだって』思って自分をせめてしまう。
それと同時に普段の元気な姿にも感謝する。
それが親なんでしょうね

みなさんはどうでしょう?

 ほの怪獣の近況
2006年01月27日 (金) | 編集 |
今朝お着替えをひとりでしていたはずのほの

部屋に戻るとまだ下着のまま

『ママ~赤いプチプチ出てる』

はぁ?じゃちょっと見せてと肌着をめくると赤い発疹がプチプチ…


『あちゃーーこれ水疱瘡じゃんか』


そのまま幼稚園に電話してお休みをすることになりました。

そして明日は発表会だったのにーー

可哀想に練習をたくさんしたのに…出られなくなりました。

今日から最低一週間は幼稚園に出席停止です。

ママは来週はたな卸しで忙しいのに休みざるおえません(泣)

水疱瘡のわりにはかなり元気いっぱいです。

外に出られない分、家で大暴れになりそうな予感です

ママは来週のばーちゃんの一周忌に向けて母屋の大掃除をします。

 授かった命10(最後の試練)
2006年01月27日 (金) | 編集 |
これから『授かった命10』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m




23日の夜中…

お腹の痛みが止まらないし、激しさをましていく。
あぁこれが本格的な陣痛?
そんな感じがした。

それと共に汚い話ですがう○○も出そう…
実はこの時点でもう10日以上もお便秘が続いてました。

どうにもならなくてナースコールします。
『どうしました?』
『ちょっとお腹が痛いんだけど…あと簡易トイレお願い出来ますか?』
『わかりました。今もって行きますね』

少しして看護婦さんが簡易トイレをもって来てくれた
『大丈夫?出来たら息まないで出来るかな?』

えぇ~息まないでって…息まないでどうやってう○○しろっていうのよーーと思いながら
『なんとかやってます』と返事した。

『終わったら呼んでね』

そう言って看護婦さんは消えました。

はぁ~ひさしぶりに床に足を付けて立ちました。
なんともしんどい…

10日以上もお便秘なので息まないで出る訳がない!
でも息んじゃいけないと言われたし…
かなり頑張っていろいろと工夫して出来るだけだしました。
これ以上は汚いので…すいません

終わってからまたナースコールをして看護婦さんを呼びました。
看護婦さんは簡易トイレを確認していました。
出血がないか?異常はないかをみたんだそうです
『けっこう出せたね。出血も大丈夫。取りあえず子宮口がどれくらい開いてるか確認するから』
そういって内診しました
『4cmだね』
『産まれますか?』
『まだだよ。もしも何かあったら呼んでね』
そう言って戻って行きました。

まだなんだ~でもけっこう痛いんですけど…
ちょうど夜中の12時を過ぎ頃でした。
カーテン越しに満月の明かりがきれいな夜でした。

ここからわかる限り自分で陣痛の間隔を計ったりしてました。

でも陣痛止めの点滴をしているためなのか、陣痛の間隔がめちゃくちゃで遠くなったり近くなったり…

そんな中で朝を迎えていました。

ほんの少しでも寝られたようです。

朝、看護婦さんが6時半にカーテンを開けに来てくれた時
『すいません。かなり限界なんだけど…』
『じゃあちょっと確認してみようか?』
『あッ7cmは開いたね。もうここよりも陣痛室のほうがいいね。今、車椅子もって来るから』
と看護婦さんがあわてて戻っていった

その隙に本当はいけないんだけど携帯で家に電話をかけたが…旦那の携帯が繋がらない。
姑もまだ寝ているのか電話にでない。

となりのベッドの人に声をかけた
『夕べはすいませんでした。今から出産になると思うんですが…家に連絡が取れないんです。看護婦さんに頼んではみますが…お願いがあるんです。7時半過ぎたら旦那の携帯か会社に電話してもらえませんか?』とお願いをした。
隣の方とかここへ来た次の日から一緒で仲良くなっていた。

『いいですよ。頑張ってね』と引き受けてくださいました。

看護婦さんが車椅子をもって戻ってきました。
たった50mの移動なのに陣痛が来て途中で何度も止めてもらいました。
その様子を見ていた看護婦さんが
『このままやっぱり分娩室に運ぶね。』
そういって陣痛室の前を通り過ぎていきました。

旦那とはこの時点で連絡が取れていません

 授かった命9(最後の3日間)
2006年01月26日 (木) | 編集 |
これから『授かった命9』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m



3月20日を境に子宮の収縮が増して行った。

でも点滴は抜いてくれないしなぁ
なんて考えいたら点滴の針を刺し直しの時に、とうとう両腕とも完全にアウトで刺せる血管がない。これで外れる?なんてちょっとでも考えた私が甘かった。
なんとふくらはぎの血管に点滴の針を刺す事になってしまいました。

その時の看護婦さんの一言は…『あらぁ~腕も手の甲もまるっきりダメだね。そうだ!○○さんは絶対安静でベッドから下りないから足にしても大丈夫だね~ということで足にするからね』でした。
これがどうにもこうにも痛かった。

点滴暦連続3ヶ月、多少の場所ではけっこう我慢出来たのにさすがにここに針を刺した時はなきました。
思わず『いたーーーい』と声を上げた程…
あぁとうとうこんな場所に点滴なんて…そう思っていました。



20日の回診の時に
『先生、下の糸を切って点滴外してくれたら今すぐにでも産めるのになぁ~』
なんて回診の時に先生に話をした。

先生も『気持ちはわかるけど…1秒でもいれておきたいから、点滴はぎりぎりまで外さないよ』なんて笑いながら話して行きました。

はぁまだか~でもけっこう来てるんだよね。これって陣痛かな?なって思いながら1日を過ごしていました。
この日の子宮の収縮を計測する機械をなんと2時間も付けていました。
なんてことはない。あまりの忙しさに看護婦さんが忘れていたらしい。
あまり笑う事のなかった入院生活の中で思わず笑ってしまう出来事でした。
看護婦さんは必死に謝って下さいましたけど…

21日の回診の時に『う~んこの先何があるか…取りあえず下の結んでる糸を切っちゃおうか?』そう言って簡単に子宮口を結んでいた糸を切った。
『かなり弛んでたね。』そう言っていました。

あぁこれでいつ産まれる事になっても大丈夫かな?
はぁ今日から満月だな~
よく人の生き死にって満月や潮の満ち引きに関係があるっていうから…
出来たら土曜日の25日は避けて欲しいなぁ。
旦那が親戚に結婚式でいないから、でも日曜日に嫌だァ~
24日あたりに産まれて来てくれないかな?
そんな事をお腹を撫でながら話し掛けていました。

1日がとても長く感じました。

22日の回診の時に
『先生そろそろ?』と聞くと
『う~んそうかな?』
『切るの?』
『いやこのまま行ければ自然分娩出来るよ』
『でも切った方が赤ちゃんには楽じゃない?』
『今のまま感染症が落ち着いてれば自然分娩。わざわざ切らなくても大丈夫。切った分だけ○○さんの回復に時間がかかるから,心配しなくても大丈夫。任せなさい』
『産まれたら赤ちゃんはどうなるの?』
『今のところ2000ぎりぎりかな?そうなると私じゃなくて小児科の先生の担当になるから、赤ちゃんはそのまま5階の未熟児専用病室に移動するよ。出産の時は小児科の○○先生も立ち会うから大丈夫。あとで○○先生も顔を出すよ。』

そんな会話をしました。

そうか…赤ちゃんはそのまま5階に行っちゃうんだ。仕方ないよね…
2000gしかないんだもん。
小児科の○○先生ってどんな人だろう?
でも大丈夫だよね?未熟児の専門の先生だって言ってたもん。
そんな事を考えいた時


『○○さん?』と見知らぬ先生が病室に入ってきました。
一目見たその先生は…

まるでクマさん…

これが小児科のこの後3年間お世話になる○○先生でした。

『小児科医の○○です。よろしく。産科の○○先生からお話は聞いています。出産の時は立ち会いますから安心して下さい。』
そう挨拶されました。

『よろしくお願いします。でも赤ちゃんは小さいし、32週での早産になったら…やっぱり障害とか出ますか?』

『う~ん今の段階ではなんとも言えませんね。これだけは産まれてからないと…でもお母さんが1分でも1秒でもお腹の中に入れておいてあげたらそれだけでも成長しますから。今は赤ちゃんのことだけ考えてね』

『わかりました。少しでも長くお腹の中にいてくれるように頼んでみます』

そう答えると先生は笑って行かれました。

そうかどの先生も同じ事を仰るってことはやっぱり少しで長い方が赤ちゃんの為なんだ。
頑張ろう。この子を今守れるのは私だけなんだから…
改めてそう思いました。


23日…

1日中、睡魔と子宮の痛みに襲われました。
夜中耐え切れないほどの痛みがやってきました。

いよいよ運命の日がやってくるのです。




 授かった命8(日替わりの感情)
2006年01月24日 (火) | 編集 |
これから『授かった命8』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m



次の日から食事の時以外は本当に寝たきりの生活がはじまった。
起き上がる事さえ制限される毎日。

時折訪れる子宮の収縮…
流れ出る羊水…

私は?お腹の中の赤ちゃんは?どうなるんだろう…

感情が日替わりで揺れる。

あまりの羊水に流れ出る量に先生に聞いた『こんなに出たら赤ちゃんは苦しくないんですか?あとどれくらい待てばいいんですか?』

『羊水がこれだけ流れるってことはそれに負けないくらいの羊水をお腹の中で作り出してるって事だから逆に大丈夫なんだよ。これが出なくなったら大変なんだ。まだまだもう少しぎりぎりまでね』

あぁあそうなんだ…作ってるから流れる。作らなくなったら出なくなるんだ。
羊水がバンバン流れる為に私は大人用のおむつをすることになってしまいました。
お産ようのパットでは足りないんです。
かぶれもひどくなりお薬を出してもらう事になりましたが…ひとりではどうしうようもできなくて朝と夕方、看護婦さんがお湯で患部を流してお薬を付けてくれる事になりました。
これがかなり痛いくて…もともと皮膚が弱い為に本当に大変でした。

でも…不安はつのります。

毎朝の血液検査…これで感染逾有無を調べる。
感染が少しでも出るとすくに抗せい剤の点滴をする。
抗せい剤の点滴をした日はblueになってテレビさえ見る気にもならない。
ただ天井をボーっと眺めては涙が溢れてくる。

私だけどうしてこんな思いをするの?
もしも感染がひどくなって赤ちゃんに何かあったらどうしよう
感染の心配よりもはやく出してあげた方がいいんじゃ?
でもまだ31週を越えたばかりでもしもこのまま産まれたら…
そんな思いが頭の中を駆け巡ります。

あまりの感情の波に女性の先生が心配してカウンセリングとまではいかないけれど私の話を聞きに何度も足を運んで下さいました。
お昼の空いた時間や夕方お帰りになる前などに私の部屋へ来て、その時々で私の気持ちが変わる事もわかって下さいました。


ある日とうとうこんな事を先生に言いました
『もしもこのまま感染を起こす心配をして毎日を過ごすくらいなら、産んであげちゃダメですか?帝王切開なら少しでも赤ちゃんの負担は軽くなりますよね?毎日毎日こんな思いをしてもうおかしくなりそうなんです。お願いします。○○先生に頼んで下さい』

『そうね。○○さんの気持ちは痛い程わかるわ。妊娠初期からずっと辛い思いばかりをされて来ている様ですしね。でもねまだ表に出してあげるには早すぎるの。確かに感染症は恐いけどその為に毎日採血して検査している。31週の半ばってことはまだ肺の機能が整ってないからきっともしも産まれたとしても産声を聞く事は難しいかもしれない。でも少しでも長くお腹の中で育ててあげれば、それだけ外の世界に適応しやすい様に少しでも機能が整ってくれる。今は外の世界で適応する為に大切な機能ができる時だから○○さんももう少し頑張りましょう。その時が来たら○○先生がきちんとお話して下さいますから』

こんなお返事だったと思う。

そうか今は肺の機能や目の機能が整う時期なんだ。
もしもそれが整わないうちに産んでしまうとその機能を補う為に処置が必要になるんだ…
少しでもその処置をしなくてすませる為にはお腹の中で成長させてあげるのが一番なんだ。
もう少し頑張ろう。先生の言う通りなんだ。

この女性の先生にはなんともお礼のいいようがありません。
私の主治医は主任の男性の先生だったのですが、この女性の先生は担当ではないにもかかわらず細やかな心遣いをして下さいました。そのおかげで私は前のようにおかしい事を考える事はありませんでした。

その頃からまた父の夢を見るようになりました。
以前とは違っています。

もう大丈夫だ。お父さんが守ってやるから安心しなさい。じいちゃんもばぁちゃんもみんなで守ってやる。安心しなさい。もうすぐ会いに行かせてやるからな

あぁもうお父さんは赤ちゃんを連れて行かないんだね。ちゃんと赤ちゃんは無事に私に元へやってくるんだね?

そんな夢でした。

3月20日を境に子宮の収縮がまして来ました。

 授かった命7(恐怖の一夜)
2006年01月23日 (月) | 編集 |
これから『授かった命7』をお読み頂く方へ
この『授かった命』は私の妊娠初期からの経過を綴ったものですので『授かった命1』から順にお読み頂く事をお勧めします
こちらから..お読みになって下さいm(_ _)m





忘れもしない3月9日の夜…

消灯になり隣のベッドの人とおしゃべりをしながらお笑いのテレビを見ていた時

私の中で何かが弾けた

『パン!!』

アッと思った次の瞬間破水していた。

すぐにナースコールをした

『○○さんどうしました』の看護婦さんの声を遮るように

『悪い。破水した』とすぐに告げた

慌てた当直の看護婦さんがすぐに私に元へ

『すぐに下の分娩室に…』
そう言って私を連れて行った。

すぐに確認をして婦長に連絡をしてくれた。
婦長は歩いて5分のところに住んでいた為にすぐに駆け付けてくれたが…
肝心の先生は会合で今夜はいない…
どうしょうと慌てる看護婦に婦長は
『先生に連絡して、○○さん破水したから戻って欲しいって』と指事をしながら私の元へやって来た。

『大丈夫、赤ちゃんは1800g越えてるから。今産まれてもなんとか頑張ってくれると思う…ただ小児科の専門の先生がいないと出産後の赤ちゃんの対応が出来ないからうちでは産ませてあげられない。これは前にも説明があったからわかりますよね?先生が戻って来てくれるからそしたら受け入れてくれる病院に連絡とってすぐに運んであげるますから』と話してくれた。
でもかなり慌てているのがわかる。

私はすぐに点滴に抗せい剤が入れられて感染を防ぐ処置が取られた。

なかなか先生は戻らない。

なんで?受け入れの病院とは話がついてるんでしょう?
なんで?すぐに救急車で運んでくれないの?
っていうか家に連絡してよー
旦那をここへ呼んでよー
と心の中で叫んでいました。

血圧を計ったりお腹に子宮の収縮を計測する機械をつけられたり看護婦さんが忙しくしていました。

思いきって『家に連絡してくれました?』と声をかけました

『あっそうですね。婦長、○○さんが家に連絡して欲しいそうです』

『それは先生が戻って輸送先が決まってからのほうが…』

『はぁ?いやそれじゃ何かあった時に遅いでしょう?すぐに電話して下さい。』

『でも…』

『とにかく連絡して下さい』

『わかりました』

なんとか連絡を付けてもらったのは破水してから30分以上過ぎてからでした。

1時間程で先生が戻ってきました。

先生の顔を見た瞬間、安心した私は泣き出してしまいました。
それまでは泣く事も取り乱すこともなかったのに…

『もう大丈夫ですよ。市内の総合病院に空きがあったのでそちらに搬送してもらいますからね。今、救急車も来ます。婦長も付き添いますから。安心して。もしかした今夜出産ということにもなるかもしれませんが、あちらの先生に診察してもらってその判断に任せましょう。大丈夫』そんな風に優しく話をして下さいました。

救急車が来ました。

担架で運ばれます。

旦那には前もって搬送先に病院を連絡済みでそちらに直接来てもらう事になったと婦長に言われました。

このまま今夜出産になる。
もしもこのまま赤ちゃんが産まれてしまったら…
まだ30週…
私は覚悟を決めなければいないのだろうか?
そんな思いで救急車に乗っていました。


総合病院につくと旦那はすでに待っていました

『大丈夫か?』

『うん…でもこのまま産まれるかもしれない。その時は…』そう泣き出す私に

『大丈夫だ。とにかく今はこっちに先生に見てもらってそれからだ』

そう話をしながら私は産科の病棟に運ばれて先生の診察をつける事になりました。

なにやら婦長が先生にカルテを渡して今までの経過を話しています。

当直の先生は『わかりました。こちらでも最善を尽くします。○○先生にお任せ下さい。とお伝え下さい。』と話して私の診察にかかりました。

30週ちょうど…このまま産まれてしまうのだろうか?

先生は診察をしてから旦那のほうへ行ってなにやら話をしています。

えぇ~先生私に説明はないの??そんな思いでいっぱいでした。

看護婦さんがやって来て
『点滴に輸液の機械取り付けますね。あと点滴もうひとつします』と別に慌ててもいないし普通の対応でした。

??が頭を巡ります。

旦那と先生がやって来て
『赤ちゃんはまだお腹の中にしまっておきましょう。破水はしていますがまだ出産の時期には早すぎるので1分でも1秒でもお腹の中で過ごさせて育ててあげないと。もしもこの先に感染やなんらかの症状が出た場合はすぐに出産になりますが、今はまだ大丈夫。ただし今までの安静よりももっと安静が必要になりますから導尿の管をつけます。ベッドから起き上がる事は絶対に禁止です。いいですね。』と説明を受けてそのまま入院になった。

部屋に移されて旦那が『先生の説明の通りだから。今夜は産ませないそうだ。赤ちゃんは1800gは越えてるけどやっぱり月数も足りないし少しでもお腹に入れといた方がいいらしい。とにかく先生に任せよう。本当にびっくりしたよ。どうなるかと思った。○○の病院は2件とも保育器の空きがなくてここがダメなら隣の県まで行くことになるところだったらいいぞ。』と…

ぞーっとしました…隣の県の大学病院といったらうちから高速を使っても2時間から3時間かかる…
そこへ搬送されなくてよかった…

ここまで破水してから3時間足らずの間のことでした。

ここから更に一歩もベッドから下りられない絶対安静の日々は続きます。


 私の好きな言葉
2006年01月21日 (土) | 編集 |
私が好きな言葉に


自分育て


というのがあります。

自分育て…子育てはわかるけど自分育てって??と思うでしょう

私は36歳で母親になりました。


まわりはこの年齢で母親になるのだから何でも出来て当たり前、わかって、知っていて当たり前と思われました。
でも子供を産んだ事のない、育てた事のない私にとってはすべてが初めての事ばかりで何も知らない、わからないっていうのが本当にところでした。

でもまわりは完璧を望みます。
一生懸命に育児書も読みあさりました。
それでもどうしていいか判らないことばかり…
いろいろな本を読めば読む程判らなくなります。

『どうして?なんで?こうじゃなくて…』そんな思いばかり

そしてある日を境に育児書を読むことを辞めました。
読んでも読んでもパニックになるばかり、なら読まないでこの子にあった子育ての方法を考えよう。

私だってママ一年生なんだもん。
わからなくて当たり前なんでもん。
もういいや
育児書なんていらない。
私は私なりにやろう。
この子と一緒に私も成長して行けばいいんだ
そう自分の中の母親を一緒に育てて行こう。
自分育てをしょう


そう思うようにしました。

まだまだ私の中の母親も娘と一緒で未熟です。
こんな私が母親でいいの?そう思う事も多々あります。
それでも


ママだーい好き


といってくれる娘のためにも頑張っていこうと思っています。

神様が私の元へ授けてくれた命です。
いろんな試練を乗り越えて私の腕の中にやってきました。
その気持ちを大切にしてこれからも

子育て、自分育てをやっていこうと思います

 授かった命6(休息)
2006年01月21日 (土) | 編集 |
ちょうど24週を超えた辺からお腹の赤ちゃんの名前を考えた。

先生に『女の子だね~』教えてもらっていたので女の子の名前を考えました。

親や友達からは『いくらなんでも早くない?』って言われましたが…

もしも…この先もしもの事があった時に名前もないままでは不憫でならなかったから…
せめて名前だけは付けてあげたい。
赤ちゃんに声をかける時もお腹を撫でてあげる時も名前を呼んであげたい。
そう考えて名前を考えました。

男の子なら旦那が考える約束でしたが、女の子なので私が考えました。

心にほのぼのとした思い出として印象が残るような子と

『想』とかいて『こころ』と読ませたかったのですが…11月に出産した友達が『こころ』と先につけていたのでお友達同士で同じ名前っていうのもなぁ~ということで

『想香』と書いて『ほのか』と読ませます。
当て字です。ちょっとすると『そうか』とか『おもか』と読まれてしまいますが…
一度この名前を見た人は印象に残るらしくて忘れないそうです。

そんな中で隣のベッドにも私より2つ下の方が入られてこの方とはいろいろな話をしてとても仲良くなりました。
この方は1ヶ月ほど入院なさっていましたが…最悪の結果になって退院されていきました。
(その後、妊娠なさって女の子を無事に出産なさっています)

入院中とはいえ平穏な日々が過ぎて行きます。

心からの安心は出来ないものの…毎日を無事に過ごせた事に…赤ちゃんが無事に育っている事に感謝していました。

『今日で25週』

『今日で26週』

そして2段階目の目標だった『27週』と越えました

ようやく27週…せめて10ヶ月に入る36週まで…のこり9週なんとかもって欲しい。
そんな思いで毎日を過ごしていました。

そんな頃、亡くなった父の夢を何度も見ました。

赤ちゃんを抱いて笑っています。そのまま連れて行きそうになるんだけれど、赤ちゃんが大泣きしている夢です。

どうしてそんな夢を見るんだろう?もしかして父が赤ちゃんを迎えに来たの?

ううんそんな事はないはず、赤ちゃんを楽しみしていたんだもの…

ならどうして連れて行こうとするの?『だめーーー』連れて行かないで…夢を見た後はいつも枕が濡れていました。

29週を過ぎて『お腹の赤ちゃんも無事に育っているし、今の処問題もないので安静は変わらないけれど30週に入ったら点滴を辞めて飲み薬に切り替えよう』と先生からお話がありました。
取りあえず点滴が外れる。寝る時もトイレに行く時も看護婦さんに迷惑をかけなくて済む。

そんな安堵の中で3月を迎えていました。

予定日は5月です。ここまで無事に過ごしたんだからこのままなんとか春を迎えたい

そう願っていました…


でも神様はこれでもかとまた私に悪夢の続きを見せたのです…

忘れもしない3月9日…

今日も無事に過ごせたと消灯時間になり電気を消してテレビを見ていた時の事でした…

 授かった命5(孤独の日々)
2006年01月18日 (水) | 編集 |
手術の次の日…

先生の回診…

昨日はよくわからなかった説明をもう一度聞いた。

『昨日旦那さんにもお話ししたけれど、まだ17週だから…この先のことはどうなるか私にもわからない。とくかく安静にして…ただ早く産まれる可能性は高い。その時はうちでは対応出来ないから未熟児医療のある総合病院に転院する事になると思います。あまりに早く産まれた時は…残念さけれど諦めるしかない。24週を超えたとしてもなんらかの障害も覚悟しておいた方がいい…状況が状況だけにいろいろな状況を想定しておいた方がいいね』
そう言われました。

先生が病室を出た後に婦長さんから『うちに先生も諦めないから、○○さんも頑張りましょう』と声をかけられた。

まだ私は自分の状況をいまいち把握できないでいた。
先生の話もどこか他人事の思えた。

年末になり隣のベッドの方が退院されていった。

ひとりっきりの病室

繋がれた輸液の機械と点滴

トイレにさえ自由にいけない

起き上がる事さえ制限されて私はどんどん自分を追い込んで行く

どうして?

なぜ?

私だけがこんな辛い思いをするの?

みんなは普通に妊娠して出産をして赤ちゃんを抱けるのに…

神様なんていない…そう誰も助けてくれないんだ。



年が明けても私はひとりで病室にいた。

カレンダーに毎日×を付けては、『今日で18週と2日目』『今日で18週と3日目』と
毎日毎日、今日も無事に過ごせたと安堵して眠りについた。

友達が何人も見舞いに来てくれた。
旦那も毎日、顔を出してくれる。

私は何ごとも心配がないかのように笑って過ごした。
心とは裏腹に…

11月に出産した友達が散歩の途中だと何度も見舞いに来てくれた。

『早くうちも産まれてこないかな~そしたら一緒に遊ぼうね』そんな会話をしたと思う。

彼女が帰った後に私はいつも泣いていた。
赤ちゃんをみるのが辛かった。でも励まそうとしてくれている彼女の思いが私には逆に残酷に思えた。
彼女や赤ちゃんを恨んでも仕方ないとわかっていても恨まずにはいられなかった。
逆恨み…まさにその通りだった。それでも彼女が来てくれた事は私には頑張ろうという励みにもなっていた。

隣のベッドは人が入れ代わりが多かった。

なかなか仲良くなるまでにならない。どの人も安心して退院して行く。

私はいつもひとりで取り残される…


20週をようやく超えた。

あともう少しだ…24週までもう少し…


そんな時、私は婦長の一言で落ちた。

そのきっかけはこんな会話だったと思う。

『早く産まれるのは覚悟しちゃいけないなら出来たら早いうちに○○病院に転院はさせてもらえないんですか?その方が安心なんだけど?』

『今の○○さんの状況じゃどこも引き受けてくれないわーうちに先生だから2回も手術してくれたけど…他の先生じゃ諦めてるわよ。うちだって保険の患者さんに長くベッドを使われるよりも本当はね~でも先生も頑張ってくれてるし、何よりも赤ちゃんには何も問題もなく育ってるんだけどねー。○○さんの身体がね~とにかく今は安静ですよ』とこんな返事が婦長さんから返って来た…


えっ?婦長さん何言ってるの?保険の患者?私は邪魔な患者なの?
どこも引き受けてくれないって?赤ちゃんは諦めなきゃダメなの?
そんな事が頭を駆け巡っていきました。

旦那が来た時にこの話をしました。旦那はすぐに先生のところへ苦情に行っています。

そのせいか?後から婦長さんは軽卒な事を話したとお詫びには来ましたが…

もう私にはそんな言葉は聞こえませんでした。



私は邪魔なんだ。この病院にいちゃいけないんだ。赤ちゃんだって私がこんな身体だから苦しい思いをいるんだ。全部私が悪いんだ。赤ちゃんはちゃんと育っているのに…私が…私が…
毎日、毎日そんな事ばかり考えていました。

いままでよりも更に自分を追い込んで行きます…

ノイローゼ?鬱?
そんな感じだったと思います。
この時の私は笑う事もなくただベッドに横になっているだけです


ふとおかしな事を考えていました。

もしも赤ちゃんに何かあったら…それは私のせいだ

だって赤ちゃんにはなんの問題もないんだから…

こうやっているのは私の身体のせいだ

もしも…もしも…

このまま産まれてしまってこの子をひとりで闇の世界にやってしまうくらいなら、一緒に私も行こう

この子をひとりになんてしない。私が一緒にいる。

このまま無事に産まれてこないのなら…

ここから飛び下りてしまおう…

あっダメだ。ここよりも確実にいく為には上の屋上の方がいい。

点滴を抜いてしまおう。

屋上に行こう。

そんな事を夜になると考えていました。

それを実行しようとした日…

ベッドから下りようとしたとたんにいつもよりも、いや初めてはっきりと判るくらいに赤ちゃんがお腹を蹴ったんです。しっかりとした胎動を感じたんです。

『ママぁ嫌だよ。ママに会いたいんだよ。だから嫌だよー』そんな風に言われているような胎動でした。(後からその話を知り合いに話したら赤ちゃんにはすべてわかっているのだそうです。そして自分が生きたんだと意思表示をしたくてお腹を蹴ったんだと言われました)

それから少しして24週を超えました。

ここまでくればもしも何かあっても助かる可能性もある。

先生も早産に備えて未熟児医療の整った都市部の総合病院に連絡をとってくれていました。

私と赤ちゃんに何かあった場合は救急車ですぐに運ぶ事そして受け入れをしてもらえ得る事を決めてくださっていました。一ケ所だけでは保育器が一杯だった時に困るからと3ケ所に連絡してどこの病院でもいいように気を配ってくださっていました。

そうして私も落ち着きを取り戻して行きました。

まだまだ先は長いけど…私に命を助けてくれたのはお腹の中の赤ちゃんだから…それに恥じないように私も頑張ろう。そう言い聞かせて毎日を過ごしていました

 一緒に寝ようよー(((--)(--).oO
2006年01月17日 (火) | 編集 |
もともと一緒に寝ているんですが…

幼稚園に入ってからは出来るだけひとりでお布団に入れて寝るようにしているんですが…

9時のチャイムが聞こえると同時に

『ほの~寝る時間!!お布団ーー』

と声をかけるんですが…

ここからぐじぐじ始まる~~~~~(ノ≧ρ≦)ノいやじゃぁぁぁぁ

お布団になんとかいれてふすまを閉めてもしばらくは

『ママ~あのね~』とぐじぐじ言ってます。

それをなんとか聞きながら少しすると何も音がしなくなって寝るんですが…

寒くなって来たとたんにこれがもう大騒ぎです。
『寒いから』とか『淋しいとか』とにかく理由をつけます。

とういことで今年も布団乾燥機の出番がやってきました。

寒い季節は寝る前にこれでお布団を暖めてから寝るんです。

あまり電気毛布系は好きではなくてここ20年以上使っていません。
特に子供にはよくないと思っていますのでなおさら使いたくない(-。-;)

でも布団は冷たいということでこれが毎晩出動してます。

これが娘のお気に入りv( ̄ー ̄)v

なんとかこれでひとりで寝てくれる??



と思うでしょう??

なんとかひとりで寝付いてはくれるけど…

夜中に『ママ(泣)一緒に寝ようよーー』
私を呼ぶか?自分からまくらを持って私の布団に入るか?なんです…

これが夜中、朝方関係無しで私が寝ていようが起きて返事をするまで枕元で泣いてる(^▽^;)

しょうがなく一緒に寝るんだけど…

これがすんごく疲れるσ(^_^;)アセアセ...
ほのが気になって寝られないし、寒いし…

だっこして寝ると暖かいけど肩が凝るし…

本当にひとりでのんびり寝たーーーーい

そんなママの心の叫びも
ほのの一言で消えてしまう

やっぱり親ばかなんですかね??

 授かった命4(サンタはいなかった)
2006年01月16日 (月) | 編集 |
どきどきする胸を押さえて診察台にあがった。

これで大丈夫ならもう安心だから…家に帰れる。
ただそれだけを…ただそれだけを願った。

先生が来て内診をしたとたん…

『ダメだーーせっかく結んだところが裂けて胎ほうがまた出てるよ』なんとも言えない声で先生が叫んでいます。
『午後からもう一回手術する。すぐに○○さんの旦那さんに連絡して来てもらって』そう支持していました。

なに?どうして?手術して結んだら大丈夫なんでしょう?ねぇどうしたの?私のお腹の中はどうなってるの?
わけもわからないま、看護婦さんの付き添われて部屋へ戻りました。

旦那がすぐにやってきました。今度は部屋で二人で説明を聞きます。

『○○さんの産道は思った以上に力が無くて子宮けい管無力症といいます。普通は一旦結ぶと9ヶ月に入る間ではよほどのことが無い限り大丈夫なのですが…開く力が強すぎるのと子供の重さに負けてなおさら開いてしまうとやっかいな事になってしまっています。もう一度、結ぶ手術をします。』こんな説明を受けました。

先生もいままでの2度の流産経験をわかってくれている、今度こそと年齢的にもきっとこれが最後の妊娠、出産になると…大丈夫先生に任せよう。そう旦那と話をしました。

午後から手術です。
これが…正念場だ。

頑張れ私…

頑張れ赤ちゃん…

この前とは違うメインの手術台に上がります。

点滴に麻酔が入ります。今回は局部麻酔も行います…

がこれが効かない…どうにもこうにも麻酔が効かないんです。
前回はこんな事はなかったのに…
通常の2倍近くの麻酔でようやく私は眠りに落ちました。


『○○さん?終わりましたよ。』そう看護婦さんに声をかけられて目が覚めました。
起き上がろうとする私に『あぁちょっと何してるの?無理だから起きないで、麻酔がさめ切ってないし無理だから。』そう制止する看護婦さんに『ここは嫌。ここには居たくないの。お部屋に戻してお部屋に帰る。』そう無理やり起き上がって転がるように台を降りました。
ここは分娩室です。まわりでは他の方達が出産をしていました。向かい側は新生児室…あかちゃんの泣き声が聞こえます。どうして?私だけがこんな思いをしなくちゃいけないの?赤ちゃんの声なんて聞きたくない。ここになんて居たくないの。そんな一心で起き上がっていました。
慌てたまわりの看護婦さん達もよって来ます。
個人病院でエレベーターなのありません。そのまま看護婦さん達に抱えられて3階の病室まで戻りました。(前回の病室はあまりに辛いからと3階のあまり赤ちゃんの声のしないところへ替えてもらっていました)

病室では旦那が待っていました。
抱えられて病室に戻った私におどろいたようです。

旦那の顔を見たとたん安心したのか私はまた眠りにつきましたが…時折泣いて呻くようにしていたそうです。

夕方まだ朦朧とする意識の中で先生の術後の説明がありました。

『なんとか手術は終わりました。今回は奥と手前の2ケ所を結ぶ手術をしました。前回の手術で裂けてしまっている為けい管が3cm程しかありません。普通の人の半分以下です。手術は上手くいきましたが、このまま出産まで絶対安静の24時間張り止めの点滴になります。まだ17週と早いので手術が成功して安静にしていても途中でなにが起きるか保証は出来かねます。もしもこの先同じようになった時には…諦めるしかありません。でも私もただこのまま諦めたくはありません。今回は赤ちゃんにはなんの問題もなく順調に育っているのだから…とくかく24週を超えるまで頑張りましょう。24週が第一の目標です。』こんな話だったと思います(旦那が後から説明してくれました)


その後、私は『お願い…お願いだからこの子を産ませて…もしも早くこの世に産まれてしまって、もしも障害があったとしても…それでもいいの、お願いだからこの子を私に抱かせて、私から奪わないで』
そう旦那に泣いてすがっていたそうです。
(私は覚えていないのですが…隣のベットに居た方があまりにも悲痛な私の取り乱し様に後から教えて下さいました)

サンタからの『退院』というプレゼントはありませんでした。

それよりも何よりもこの時私には神も仏もいないんだ。そう思わされました。

そんな1999年のクリスマスイブでした。

 授かった命3(悪夢の宣告)
2006年01月15日 (日) | 編集 |
何ごともなく4ヶ月を過ぎた。
母子手帳ももらって来た。
あぁこれでやっと一安心。
出産の準備はどうしよう?マタニティも欲しいな~
そんな日々を過ごしていた。

12月も半分を過ぎようとしていたある日の朝…

歩けない程の激痛で目が覚めた。

『痛い…パパお腹が痛いよ。動けない…』

『なんだ?どうした?出血してるのか?』

『出血はしてないけど…痛い…』

『昨日無理したんじゃないのか?もしもこのままなら病院へ行くか?』

そんな会話のあとにお腹の痛みは嘘のように消えました。

ようやく落ち着いた。明日は五ヶ月検診だから明日聞いてみよう。

そう思って仕事に行きました。その後も大した痛みもなくちょっとお腹が張る程度で次の日になった。

昨日からお腹が張るな~でも今日は検診だから先生に話してお薬出してもらおう。
そんな安易な考えで病院のドアを開けました。

まさかこの後に悪魔の宣告があることも分からずに…

『○○さん今日は癌検診もするから内診ね』そう受付で言われて内診室へ

『今日は癌検診だね』そう言って先生が内診をしようとしたとたん

『ダメだーーー胎ほうがでてるぞ。このままじゃまずい。すぐに手術だ!!看護婦すぐに準備、○○さんのお宅へも連絡して』先生の悲痛な声です。

なに?なにおこってるの?赤ちゃんどうしたの?先生…どうして…
そんな事が頭を巡っていました。
自分の身体と赤ちゃんのなにがおこっているのか私にはわかりません。

すぐに看護婦が私の方へまわって来て説明をしてくれました。

原因はわからないけど産道がひらいて赤ちゃんを包んでいる胎ほうがすぐそこまで降りて来ていることこのままでは胎ほうが破れて流産してしまうこと。
その為には胎ほうを子宮に戻して産道を結ばないといけないのでそのために手術をすぐに行うこと

そんな説明だったと思います。
そのまますぐに携帯で旦那に電話をしました

赤ちゃんが危ないこと、それを守る為にこれから緊急の手術が必要なのですぐに病院に来て欲しいことを伝えました。
旦那も電話の向こうで何があったのか分からない様子で慌てていたのを覚えています。

そのまま泣きながら看護婦さんに支えられながら2階の病室に入りました。
すぐに点滴が始まりました。

私の頭に中はパニックです。
ただ赤ちゃんに『ごめんね。ごめんね。昨日すぐに来ていたらこんな事にはならなかったのに…ママが悪いんだ。ごめんね』そう言い続けていました。

それからまもなく旦那が姑を連れて病院へやってきました。
顔面蒼白です。
『どうしたんだ?何が起きたんだ?大丈夫なのか?』
そん名言葉をかけられましたが私にどうにも答えられません。

看護婦さんが『御主人ですね?これから先生が説明しますのあちらへお願いします』と旦那を連れて行きました。

姑は『お母さん、大丈夫だから。先生に任せない。大丈夫』そう手を握って声をかけてくれました。
旦那が戻ってきて先生の説明を話してくれました。
私が診察室で看護婦さんに聞いたことと同じです。
『ごめんな。昨日の朝、俺がすぐに病院に連れて来てれば…ごめんな』そう何度も呟いていました。

旦那の責任ではありません。私にせいです。
私がもう少し気をつけていればこんな事には…
そんな事を考えているうちに手術がはじまりました。

個人病院のなので特別な手術室はなくて分娩台が手術台です。
隣では出産をしています。どうにもやり切れない気持ちの中で台に上がります。

そのまま全身麻酔で眠りに落ちました。


『○○さん…聞こえます?終わりましたよ。』
看護婦さんの声で目が覚めた時にはすべてが終わった後でした。

『終わったんですか?だって…』

『はい終わりましたよ。まだ歩けないでしょう?もう少しこのまま横になってていいですよ。起きあがれるようになったら病室へ戻りましょうね』

そう言われてまた眠りに落ちました。

次に気付いた時にはすでに病室でした。
いつの間にか移動していたようです。

廊下を挟んで向かい側が分娩室、隣は新生児室、昼も夜も赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
どうして?なんで私だけ?こんな思いをするの?でも大丈夫このまま一週間後の検査で問題がなければ家に戻れる。
それだけを心の支えに頑張ってきました。

そして運命の一週間後…その日はクリスマスイブでした。
外は寒くて雪がちらついているそんな日でした。

クリスマスイブ…

私にサンタは退院とういプレゼントをくれるのでしょうか?
そんな思いで診察室に入りました

 授かった命2(最初の試練)
2006年01月15日 (日) | 編集 |
すぐに最初の試練はやって来た。

一週間としないうちにおりものが薄らと茶色になっていた。
すぐに病院へ行った。

案の定切迫流産の徴候がある。

先生は
『この時期の出血はかなりまずいね。とにかくお薬を出すから家で安静にしてね。一週間後にまた来て下さい。もしもこのまま出血が続いたり、痛みがある時にはすぐに来るように』
そう言われました。

泣きながら車を運転して家に帰り、先日の友達に電話をして訳を話すと
『そうなの?なら絶対に動いちゃダメだよ。妊娠中の安静っていうのはトイレ以外は寝てなさいって言うことだから。お風呂もしばらくダメだし、家事なんて絶対にダメだからね』そう言われました。

そこから一ヶ月間は家での安静が始まります。
姑には心配をかけるからと安定期に入るまでは内緒にするつもりでしたがそうもいきません。
旦那に話してもらうと姑はもう知っていた様でした。
『なんか様子が変だとは思った。でもそういうことならとにかく家の事はしなくていいから安静にしてもらいなさい。』そう枕元で言われました。
姑には本当に迷惑や心配をさんざんかけました。
この日から私は離れの自分の部屋から一歩も外へ出ることはありませんでした。
母屋にすら行くことはありません。
なんとか出血は止まり痛みもありません。
一週間後の検診でもまだ心拍の確認が出来なかった為にやはり心拍が確認できるまではこのまま自宅安静が続きました。

そのまた一週間後
ようやく赤ちゃんの心拍が確認できました。
赤ちゃんの成長はいくぶん小さめです。先生はもう少し自宅安静をと言われました。

赤ちゃんがやっぱり小さいんだ…もしもこのまま前のようになったら…
いや今度こそ大丈夫とにかく安静にしていよう。先生が大丈夫とういまでは大人しくしていよう。

一ヶ月後…ようやく先生からOKの声が聞かれました。
『これで一安心。心音も無事に確認できたし切迫流産の危険も無くなった。思いのほか胎児も安定した成長だしこのまま無事に育てば不育症のほうも心配いらないな。』そう言って下さいました。
『ただやっぱりいままでの不育症のことがあるから常に2週間おきの検診でね。4ヶ月を過ぎてもこのままなにもないならもう本当に心配はいらないから』帰りにそう言われて普段の生活に戻りました。
今までは3ヶ月から4ヶ月の境目当たりで流産をしている。とにかくそこを乗り切るまで頑張ろう。そう自分に毎日言い聞かせて過ごしていました。

仕事も無理のない程度にならと言われてフルパートだったのを4時間にしてもらって復帰することになりました。

つわりはあったもののなんとか無事に4ヶ月を乗り越えて赤ちゃんも頑張ってくれました。
そこまではどうにも気持ちが晴れずにまわりもなかなか妊娠を伝えられなくて…この日を境に周りの友人や親戚にも妊娠を報告しました。

これで本当に一安心…もう不育症の心配もなくなってあとは6ヶ月間赤ちゃんをお腹の中で育てて行くだけ

そう思っていたのに…
それは突然、やって来ました。


 授かった命1(3度目の妊娠)
2006年01月14日 (土) | 編集 |
ほのを妊娠した時はちょうど夏の終わりのまだまだ残暑がきつかった9月に入った時だった。
もともと片頭痛や貧血を持っていた私はその日の朝もそんな感じで体調が悪いのだろうと仕事へ出かけた。

けれどいつまで経っても気持ち悪さが取れない。
しかたなしに仕事を早退する事にした。
なんかお腹が空いて気持ち悪いな~
そんな思いで大好きなパン屋さんに寄り道をしてパンを買って食べた。

???あれ~変だぞーーーーさっきまでの気持ち悪さがない…
まさか?
もしや?
その足で薬局へよって検査薬を買った。

いままでに2度不育症流産をしている。
その後は卵巣と子宮の発育不足から無排卵月経が続いてる。
30歳を過ぎた時に子供が欲しくて検査をしてもらった。
タイミングや卵管の通りをよくする処置もしてもらった、発育を助ける薬も飲んだ。
でもなかなか妊娠をしなくて先生からは不妊を専門でやっている病院への紹介を勧められた。
旦那と二人で話し合いをたくさんした。何日も何日もそして出した答えは…

【夫婦二人だけでもいいじゃないか?もしも人間に摂理に反して妊娠出産したとして、もしも万一のことがないとも考え切れない。そうなった時にその子供の一生を背負って生きて行く覚悟があるだろうか?親は先に逝ってしまう。その子が残されたとしたら…それこそ一緒に連れて行きかねないのでは?それならば二人で仲良くやって行こう】

そういう結論を出した。
養子も考えたけれど、今の日本の制度ではかなり難しいものがある…

それから5年経ちすべてを諦めて二人で過ごし、自由に生きていました。

そんな中での身体の変調。

これまでも何度も落胆し、涙をこぼしたか…

こわごわと検査薬を使う。
薄らと赤い線が…どうしていいか分からずに旦那へ電話をしました

『あのね…妊娠てるみたい…どうしよう』

『とにかく病院へいってこい。今すぐに、そうだ○○が休んでいるんだろう?付いて行ってもらえ』

そんな会話のあとのすぐに友達に電話をした。

『あのさーこれから病院へ一緒にいってくれない?』
『どうしたの?なんで?ひとりで行けば?』
『実はさー妊娠してるかもで…今までのこともあるしひとりは恐いし、旦那は仕事で抜けられないし…ごめん悪いと思うけど○○の付いて来てもらえたらと思って』
『何何。そういうことなのーーなら先の言ってよーいいよ。じゃあこれから迎えに来てね』

すぐに家を出て友達の家によって掛かり付けの病院へ行きました。

病院へついてすぐに尿検査、その後たいして待たずに診察室へ
内診をして胎ほうは確認出来るものの赤ちゃんは見えません。
先生も以前のことがあるから慎重です。
問診室へ場所を移して
『おめでとうございます。妊娠してますね。ただまだ早い為に赤ちゃんの心拍が確認できません。2週間後にも一度来て下さい。でも今までの経過もあるのでもしも何かあればすぐに来て下さい。わかりましたね。すぐに来るんですよ』

先生も私も妊娠した事も嬉しいけれど問題はこの後だということをわかっているんです。
2度の流産…発育不全の私の子宮…
両手をあげて喜べないのが現実でした。

一緒に付いて来てくれた友達もこの時に妊娠4ヶ月…重いつわりで苦しんでいるのに付いて来てくれました。
この友達が泣いて私の妊娠を喜んでくれました。
ありがとう…心のそこから友達っていいなって実感した瞬間でした。

そしてこの友達にはこの後何度となく助けられるでしょう。
大切な大切な友人です。


この後、運命の神様は大変な試練を私と赤ちゃんに与えます。

上記の私達夫婦が不妊治療に踏み切らなかった訳が書いてありますが、不妊治療を否定している訳でも危惧している訳でもありません。世の中には沢山の方がおられて中にはどうしてもどんな方法を使ってもと切望する方も多いでしょう。ただ私達夫婦にはあまりにも不妊治療にかかる費用と時間が重すぎました。もしも自分達にその余裕があったのならきっとその道を選んでいたかもしれません。いろいろな考えがあります。ただ私達夫婦はその時はふたりで歩く道を選びました。
どんな経緯で産まれたとしても子供は宝物です。誰かが言っていましたが、子供はこの世の中の宝物だと…愛される為に世の中に産まれてくるのだと。私はその言葉が真実だと思います。
現在、不妊で悩んでいる方で時間やお金に余裕があるのであればどんな方法でもいいと思います。自分達夫婦が信じた道で子供が抱ける日まで頑張ってほしいと思います。


 おトクサイト特集
2006年01月13日 (金) | 編集 |
サイドバーにいろんなお得サイトを揃えてみました。


blog運営にアクセスUPのお手伝いをしてくれるサイトやランキングサイト、そしてほのママの大好きな懸賞サイトまで…ets

無料サイトが多いので簡単にアクセスして賞品&現金を手にして下さい(^_^)

けっこう前ですが懸賞で温泉旅行や現金を手にしたことがあります。

お菓子や家庭用品なんかもけっこうもらってますよ。


今はネットで簡単ですね~よけいなはがきもいらないし…

気になったら覗いて見ちゃってください。

 これが
2006年01月11日 (水) | 編集 |
『ラブ&ベリー』ってなんだ?という方に
下の画像が怪獣がいまハマっているラブ&ベリーのフィギアです


MXSsh0005.jpg



ゲーム自体はムシキング系のカードゲームです。
カードをスラッシュしてこの女の子ふたりに場所にあったオシャレをさせてダンスをしてポイントを上げて行くいうものです。

でもみんなハマってるハマってる(-。-;)
感覚的には昔のリカちゃんやジェニーちゃんみたいな感じかな?
リカちゃん世代のママにはきっと堪らないんでしょうね?
自分が憧れた世界が少し変わったものの、誰にも邪魔されずに自由にできる…そんな感じですかね。

親は大変だよ。こんななんにお金かけてさ(-"-;)
うちに怪獣もいつまでハマるのやら…


 怪獣のはまりもの??
2006年01月10日 (火) | 編集 |
ほの怪獣の最近のはまりものは…

なんと言っても


『ラブ&ベリー』


これですね!!

この間の土曜日もラブベリーがやりたいとジャスコに連れて行かれました(-。-;)
まだまだカードも揃っていないしリズムの取れないので、着せ替えはほの担当でダンスはママ担当になってやってます。
ふと隣をみると知り合いのお母さんが娘そっちのけでハマってます(*。*)
カードもすんごい枚数持っていていくら金かけてんの??と聞きたいくらい。
そのうちカードの交換をしようという事になりましたが…ほのはほとんど持っていないσ(TεT;)
でもそのお母さんがほののカードの中から自分の持っていないカードを見つけて交換して欲しいと言われました。どうしようかと悩んでいると『ダブっているカードが沢山あるからそれと10枚交換してあげる』と美味しいお話( ̄∇+ ̄)vキラーンそれならばと交換してもらいました。けっきょく12枚と交換です。
その他にも沢山ゲームをしたので40枚以上のカードがこの日集まりました。
今はフィギアもあってそれもパパにおねだりして2体所有中…たぶん全部集めるつもりなんだろうね…まぁパパやばぁがお金を出すんならママは何も言わないけど、まだまだこのハマりものは続きそうです。

そしてもうひとつのハマりものは…

なんとママの歯磨きの仕上げ磨きをするということ(;´Д`A ```
うちではお風呂に入って夜の歯磨きをすんだけどその時に急に『ママァ~仕上げ磨きは私がしてあげる』とか言い出して…私の歯ブラシを取り上げて『あーんして』と言い出しました。
その日からママの仕上げはほのが担当。ママは今まで通りにほのの仕上げ担当と…ふたりの歯磨きが終わるのに10分以上の時間がかかるようになってしまいました(-"-;)
湯舟に入って磨くので髪を洗った日なんかは湯でたこ状態になってしまいます。でも本人は上手に仕上げ磨きをしているつもりでも私にとっては歯ブラシがただ口の中で暴れているようにしか感じません( ; ̄ω ̄)ゞイテテ・・・痛いだけ
はやくこのハマりものに飽きて欲しいと願っているママなのです(泣)

 ヘアカット
2006年01月07日 (土) | 編集 |
今日はほのの髪をカットしました。

ママは美容師さんの免許を持っているのでカットはお手のものですy( ̄ー ̄)yピースピース

ゆえに産まれてから一度も美容院に行った事も他人がカットした事もありません。
髪をシャンプーするのでさえママ以外は嫌なんだって(*。*)

お風呂に入る前に『今日はシャンプーして髪の毛カットしようね』と話していたので割りとすんなりシャンプーしました。
いつものなら嫌で嫌で仕方がないんだけどね。

『カットしながらビデオ観てもいい?』

と聞かれたので『いいよ終わるまで観ても』と答えたからなおさらだったんでしょうね。

お風呂を上がってお部屋で着替えが終わっていざドライヤーをかけてカットに入ります。


なにせかなり長い


子供ながら肩甲骨の下10cmはある(^▽^;)
小学校にも上がるし本当なら肩くらいまで切りたんだけどこれが絶対に切らせてくれない。

大好きアニメキャラはセーラービーナスにキューティーハニー、キュアホワイト、ルミナスとまぁまぁ全部がロングヘアーのキャラばっか(-。-;)
ごっこ遊びをする時に髪が短いのは嫌なんだそうで絶対に短くはさせてくれません。

まわりも女の子だからロングがいいというので尚更切れない。

今日は8cm下をカットして中だけ削ぎました。少しは軽くなったかな?
前髪もママ好みに軽く薄くしてギザギザにしました。
本人は短すぎると言っていましたが…けっこうまんざらでもないようで


『ママ~ありがとう』


と言ってくれました。
今度は入学式の前にカットしようね

 はちゃーーの連続
2006年01月06日 (金) | 編集 |
今日からお預かりがスタートしましたが…

なにせお休み中の不規則な生活が祟ってかこれまた怪獣が起きない(o_ _)o.。oOOグゥグゥ・。・。・。zzzZZZ

いくら声をかけてもダメなので最後は実力行使です!!
お布団を剥ぎ取りました。
が今度はタオルケットを持って

『まぶしいーー寒いからやーー』


はぁ~凸(-_-メ)


『ごらぁ~いい加減に起きなさいーー

だから早く寝なさい言って言うでしょうーー』



とそのままダッコして起こしました。
なんとか朝御飯を食べさせて結局は遅刻したものお預かりに行きました。


ママはその後朝風呂にのんびり入ってお仕事に行きました。


が…3時半過ぎに『○○さん9時まで残業出来ないかな?』と言いにくそうに上司に言われました。
『うーん家に聞いてみないと返事が出来ないけど…パパが迎えに行ってくれれば大丈夫ですよ』と旦那に電話して確認してOKをもらいました。

一旦休憩を入れて5時から夜の部の仕事です。まぁやることもあるのでよかったといえばよかった。

がここからが本日最大の


はちゃーー


なのでした

お迎えに行って夕飯の御買い物様にお金を取りに来たはずのパパが

『ワリー仕事になったから1時間で戻るから置いて行くから…』ってほのを置いて帰っちゃいました・・・(゜_゜i)

まぁ私も急に仕事になったのもあるんだし…旦那の仕事も大事なことだし仕方ないので、上司に断わりを入れてからアイスやらパンやらを買って休憩室で大人しくテレビを見ててもらう事にしました。

はじめは大人しくしてていたもののさすがに慣れないしひとりだしで何度も売り場に出て来ます。

それも大きな声で


『ママァ~』


を連呼(-。-;)

それでも言い聞かせてまた休憩室に戻してと…

ところが1時間過ぎてもお迎えに来ません。
さすがに2時間を過ぎた頃にさずがに飽きもモードの怪獣
なんとかまた言い聞かせてカウンターで本を読ませてました。

8時半過ぎにようやくお迎えがきました。
上司に詫びを入れてから帰ると言われたけどさすがに忙しい時間だし私から話すと言う事で帰ってもらいまいした。

9時になって即効でわたしは上がりです。
閉店作業はあるけれど…9時までと言う事で残業をうけたしほのも旦那も夕飯がまだで帰ってからファミレスに行く約束になっていたので帰らせてもらいました。
おいしく食べてきました。

なんか1日中、はちゃーの連続でこんな日もあるもんだと感心したくなりました。

こんなんが頻繁にあったら疲れちゃいますから…


 大雪
2006年01月04日 (水) | 編集 |
昨日は大雪の中おばちゃんの家に遊びに行って来ました。
うちから45分位山の方へ行ったところに一人で住んでます。
まぁこのおばがいろいろとあるんですが、基本的に私にはとてもいい叔母なので大好きなんです。
母は弟もいない事だし、家にひとりでいてもつまらんだろうと言う事で置いてきました。
金曜か?土曜に迎えに行くつもりです。
これが仲がいい姉妹なんだよね。
6人兄妹の下ふたりで年も近いからなおさらなのかな?
叔母と娘と三人でいると親子に間違われることが結構あるんですよね。母よりも叔母の方が私と体系といい顔といい似てるんで(^▽^;)

でももう少ししたら家のある関東に帰るので今のうちにいっぱい遊びに行こうと思ってます。
帰りはあまりの雪の凄さに1時間半もかかりました。早目に出て正解でした。

今日はママはお仕事なのでほのはパパと御留守番。

仕事終わりの時間にいつものように携帯が鳴りました。( ・□・) ]~~~~[ (・o・ ) モシモシ

『ママ~いつ帰ってくるの??

おみやげ忘れないでね。ほのかちゃんお腹空い

たよーー』



いつもの事です。私が仕事でいない休日はパパといるんだけど最近は電話を覚えたので自分でかけてきます。
これがまたうるさいんですよ。出るまでかけてくる。
たまに出たら切れちゃったなんて事もあるんですが(-。-;)
こうやって覚えて行くっていう事なんでしょうね。

明日からお預かりが始まります。みんなよりも一足早く3学期のスタートです。
まぁ本来の幼稚園は10日になりますが、家ではやはりひとりなので遊ぶのも限界があるでしょうから明日からはおもっきり暴れて来て下さい。

ママはこれからお預かりの荷物の準備をして寝ます( ~-ω-~)zzz~

 お正月そうそうのババの心配??
2006年01月01日 (日) | 編集 |
今日は実家に年始のあいさつにほのと行って来ました。

家について開口一番に『あんたはなにやってるのーー子供をひとりでおいて買い物にでも行ってたの?表に出て泣いていたって教えられたんだよ(-"-;)小さいのに夜泣いてたって教えられてお母さんは本当にもう!!あんたに言わなきゃって、ほのが可哀想でしょう』と怒濤のごとくのお叱りですが

私には何の事やら??わかりません

よくよく話を聞くと、それは半年前位に午後のお昼寝の間に御近所に用事があって出かけていた間に目が覚めたらしく私がいないので不安で泣いて表に出てしまったところに近所の方が居合わせて『どうしたの?』という時の事でした。

その近所の方は叔母の友人の娘さんで近所にお嫁に来ている方でその方から母達の耳に入ったとのことでした。
それも昨日(-。-;)

母にはきちんと訳を話して今では1時間位ならひとりで留守番出来る事や一緒に行こうと言っても『行かなーいおみやげよろしく』っていう事などをきちんと話して母もようやく安心してました。

心配で実家の母の耳に入れて下さるには嬉しいんですがノはっきりって余計なお世話です。事情も知らないで余計な事を言わないで欲しいですよ。母は心臓が弱いですから勘弁して下さいm(_ _)m

その後は叔母の家に遊びに行きました。
そこで怪獣ぶりをおもいっきり発揮したほのはお年玉をもらったのでもうジャスコに行きたいと大騒ぎです。


『ジャスコに行きたいーー行くーー』


あまりの大騒ぎに大人の方が参ってしまって、叔母も買い物があるからと一緒に御買い物に行きました。

ほのはゲーセンにまっしぐら┌(^。^)┘♪┌(^。^)┘♪狙いはラブ&ベリーです。
でも先にいつものメリーゴーランドとボールプールを
下の写真はメリーゴーランドで満面の笑みの怪獣です。

M5Vsh0000.jpg
M5Wsh0001.jpg



ラブ&ベリーもほのにはまだまだ難しいのでママも一緒にやってます。っていうかダンスはママが担当でお洒落はほのの担当です。
可愛いけど1回100円はね~ほどほどにしたいと思います。


その後は叔母が夕飯をごちそうしてくれるということで回転寿司にいってたくさん食べてきました。
おばちゃんごちそうさまですm(_ _)m
3日にまたお邪魔しますのでよろしくお願いします。

 明けましておめでとう
2006年01月01日 (日) | 編集 |
2006年がスタートしました。

去年は姑の急死にはじまって最後は弟の交通事故といろいろありました。

今年の最大イベントは怪獣の


小学校入学


これがあります

2月の一周忌が終わったら本格的に入学準備をします。

まだまだ怪獣もママもこれからも頑張って行きたいと思います

みなさんも温かく見守ってたまには突っ込み入れて下さいね。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。