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2000年春に2058gの未熟児で産まれた我が娘もピッカピッカの一年生になりましたy(^ー^)y 笑いあり涙あり、感動あり時には激怒ありの飼育日記です
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 授かった命3(悪夢の宣告)
2006年01月15日 (日) | 編集 |
何ごともなく4ヶ月を過ぎた。
母子手帳ももらって来た。
あぁこれでやっと一安心。
出産の準備はどうしよう?マタニティも欲しいな~
そんな日々を過ごしていた。

12月も半分を過ぎようとしていたある日の朝…

歩けない程の激痛で目が覚めた。

『痛い…パパお腹が痛いよ。動けない…』

『なんだ?どうした?出血してるのか?』

『出血はしてないけど…痛い…』

『昨日無理したんじゃないのか?もしもこのままなら病院へ行くか?』

そんな会話のあとにお腹の痛みは嘘のように消えました。

ようやく落ち着いた。明日は五ヶ月検診だから明日聞いてみよう。

そう思って仕事に行きました。その後も大した痛みもなくちょっとお腹が張る程度で次の日になった。

昨日からお腹が張るな~でも今日は検診だから先生に話してお薬出してもらおう。
そんな安易な考えで病院のドアを開けました。

まさかこの後に悪魔の宣告があることも分からずに…

『○○さん今日は癌検診もするから内診ね』そう受付で言われて内診室へ

『今日は癌検診だね』そう言って先生が内診をしようとしたとたん

『ダメだーーー胎ほうがでてるぞ。このままじゃまずい。すぐに手術だ!!看護婦すぐに準備、○○さんのお宅へも連絡して』先生の悲痛な声です。

なに?なにおこってるの?赤ちゃんどうしたの?先生…どうして…
そんな事が頭を巡っていました。
自分の身体と赤ちゃんのなにがおこっているのか私にはわかりません。

すぐに看護婦が私の方へまわって来て説明をしてくれました。

原因はわからないけど産道がひらいて赤ちゃんを包んでいる胎ほうがすぐそこまで降りて来ていることこのままでは胎ほうが破れて流産してしまうこと。
その為には胎ほうを子宮に戻して産道を結ばないといけないのでそのために手術をすぐに行うこと

そんな説明だったと思います。
そのまますぐに携帯で旦那に電話をしました

赤ちゃんが危ないこと、それを守る為にこれから緊急の手術が必要なのですぐに病院に来て欲しいことを伝えました。
旦那も電話の向こうで何があったのか分からない様子で慌てていたのを覚えています。

そのまま泣きながら看護婦さんに支えられながら2階の病室に入りました。
すぐに点滴が始まりました。

私の頭に中はパニックです。
ただ赤ちゃんに『ごめんね。ごめんね。昨日すぐに来ていたらこんな事にはならなかったのに…ママが悪いんだ。ごめんね』そう言い続けていました。

それからまもなく旦那が姑を連れて病院へやってきました。
顔面蒼白です。
『どうしたんだ?何が起きたんだ?大丈夫なのか?』
そん名言葉をかけられましたが私にどうにも答えられません。

看護婦さんが『御主人ですね?これから先生が説明しますのあちらへお願いします』と旦那を連れて行きました。

姑は『お母さん、大丈夫だから。先生に任せない。大丈夫』そう手を握って声をかけてくれました。
旦那が戻ってきて先生の説明を話してくれました。
私が診察室で看護婦さんに聞いたことと同じです。
『ごめんな。昨日の朝、俺がすぐに病院に連れて来てれば…ごめんな』そう何度も呟いていました。

旦那の責任ではありません。私にせいです。
私がもう少し気をつけていればこんな事には…
そんな事を考えているうちに手術がはじまりました。

個人病院のなので特別な手術室はなくて分娩台が手術台です。
隣では出産をしています。どうにもやり切れない気持ちの中で台に上がります。

そのまま全身麻酔で眠りに落ちました。


『○○さん…聞こえます?終わりましたよ。』
看護婦さんの声で目が覚めた時にはすべてが終わった後でした。

『終わったんですか?だって…』

『はい終わりましたよ。まだ歩けないでしょう?もう少しこのまま横になってていいですよ。起きあがれるようになったら病室へ戻りましょうね』

そう言われてまた眠りに落ちました。

次に気付いた時にはすでに病室でした。
いつの間にか移動していたようです。

廊下を挟んで向かい側が分娩室、隣は新生児室、昼も夜も赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
どうして?なんで私だけ?こんな思いをするの?でも大丈夫このまま一週間後の検査で問題がなければ家に戻れる。
それだけを心の支えに頑張ってきました。

そして運命の一週間後…その日はクリスマスイブでした。
外は寒くて雪がちらついているそんな日でした。

クリスマスイブ…

私にサンタは退院とういプレゼントをくれるのでしょうか?
そんな思いで診察室に入りました
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コメント
この記事へのコメント
出産までの道のりは本当に大変だったのですね。でも家族の協力と思いやりの中で出産そして今も毎日を過ごしているのですね。
私は切迫早産で約1ヶ月半入院。1ヶ月早く生まれた優は2144gでした。
何かあるといけないのでとNICUに約1ヶ月。保育器にも一週間入りました。
その頃は私のせいだと自分を責め、優の事をかんがえると自然と涙が溢れてきて~。。でも今はすくすく育ってくれている優を見て、毎日寝顔を眺めて、「育ってくれてありがとう!」と感謝の気持ちでいっぱいになります。
2006/01/16(月) 23:15:09 | URL | sora #-[ 編集]
soramamaへ
実はこれでは終わらないんですよ…

優君も同じような体験をしているんですね…
私は産まれて数時間しか経たない我が子の手に点滴の針と機械の線が痛々しくて『ごめんね。ごめんね』と保育器にすがって泣いていました。
ほのの胸にはその時に線を止めていたテープの痕がもうすぐ6年になろうとしているのに残っています。お風呂に入る時にちょうど目に入るので…心が痛いですね

優君もほのも小さく産んで大きく育てようを実践して行きましょうね
2006/01/17(火) 00:49:57 | URL | ほのママ #-[ 編集]
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